自分はすげえ詳しいと言う訳ではありませんけど、基本的に銃とか戦車とか好きです。
戦史本読んだりプラモ作ったりエアガン弄ったりする程度ではありますが、それでも誰はばかること無く好きだと公言出来る位には好きです。
そんな自分がどうにも受け入れがたいものが一つあります。
それは、
「銃が人を傷つけるのではない。使う人(の意思)が傷つけるのだ」
という理屈。
確かに思考停止してぼんやりとその理屈を聞けば、なるほどその通りだと思えてしまいます。
ですが、この理屈には一番根本的な部分が抜けている。いや、確実に故意で抜いている。
その「抜かれた部分」が何かというと"銃は何故、何の為生まれてきたのか"という部分にほかなりません。
特に拳銃や軍用ライフル。
答えは、"武器として、それも対人用の武器として生まれてきた"のは言うまでもありません。最初から人を効率的に傷つけるために生まれてきたものです。
いくら「使う人次第だ!!」と言っても、用途が最初からほぼ限定されているのです。
これは弾薬について5分も調べるとよく分かることです。効果的に人間を無力化するかという点にどれ程腐心して研究開発されている事か。いかに命中弾をそのままあっさり貫通させず角度を変えて体内を走り回りより多くの組織を破壊させるか。弾頭部を変形させることで貫通力を落とし、弾丸の運動エネルギーをロス無く対象にぶつけるか。
つまりはそういう事です。
なので、自分は銃が人を傷つけるのではない〜という全米ライフル協会理論は大嫌いです。むしろそういう事を言う奴は敵ですw
人殺しの道具上等。それの何が悪い。
少なくとも俺はそういう部分も含めて銃とか戦車とか好きなんだ。
人間の悪意をそのまま具現化したものが武器であり、人間の厄介な一面をそのまま象徴する道具であり、そうであるからこそ人を惹きつける魔力みたいなものがあるんです。
銃は人を傷つけるものじゃないという人はその本質を敢えて見て見ぬふりをしています。キレイな核兵器理論とたいして変わりません。
そして、そういうキレイキレイ思考は一歩間違えると、「他人を傷つけるものじゃねえ!俺の身を守るためのもんだヒャッハー」的に『敵』認定(たとえ"人間型の生物"でもそれは『人間』ではなく『敵』なので無問題)した存在に対して乱射する様な阿呆を生むんです。
自分が愛でているものが人間の業を一身に背負った危険な存在であると常に意識しているのと、これは危険なものじゃないよ芸術品なんだよとお花畑みたいな事抜かしているのと、どっちがよりヤバイかは言うまでもないでしょう。
と、前フリが長くなりましたがうぽって3巻です。
熱海を舞台に東側の火器で固めた紅鋼学園とのバトルが始まる急展開が描かれるんですが、バトルに巻き込まれて被弾してしまった現国が何故か無傷で、その際に「銃が人を傷つけるのではない。使う人が傷つけるのだ(だからふんこ達擬人化銃の弾に当っても死なない)」理論が炸裂したので一気に作品に呈する熱がクールダウンしてしまいました。
以前も某古参ガンアクション漫画でこの理論を見てそれ以降読むのを止めた事がありますが、未だにこういう事言う人いるんですねえ。
AK系は大好物なので、いよいよ出てきたかとワクワクしていたのに…こんな地雷も仕掛けられているとは…うーん。
でもってこのバトルはいいところで次巻に続く!になっていて、巻後半はゆるいコメディ形式のスピンオフ?作品収録。
勿体振りやがって…と思ったものの、ライフル協会理論ぶっかまされるよりは、ゆるーいコメディ見ている方が精神衛生上はよろしいかなと思ったりもした。
うぽって!! (3) (カドカワコミックスAエースエクストラ)
天王寺 キツネ

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